自 然 讃 歌 ・ 野 菜 讃 歌 |
恥ずかしながら、家内が暇にまかせて作った詩をご紹介します。
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自然讃歌
絶景や 風光明媚でなくとも 美しい自然が すぐそこにある
春夏秋冬 一日の時間によって 刻々と変わる変化
太陽の光や 天候によって 無限に変わる表情
名もない花や 雑草も 輝く瞬間がある
気づいて欲しい
その美しさ その偉大さ
私たちは 自然の中に 生かされていることを
野菜讃歌
とりたての野菜を見よ
その美しさ
その愛しさ
捨てるところなどない
いのち ありがとう
木村敏美 作
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ある晴れた 春の日に |
春にむけてレンゲの種をまく家内。 それは遠い幼い頃の郷愁からでした。
以下、恥ずかしながら家内の投稿です。 |
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春は桜・チューリップ・菜の花・藤、沢山の花が咲き季節を色どって私たちの目を楽しませてくれますが、その中で今ではあまり見かけなくなった れんげ畑
は私にとって格別で、れんげ畑イコール故郷なのです。
想い出の扉を開けると、幼い日々の事が れんげ畑と共にオルゴールの音色のように流れ出てきます。
私は小学校三年までの短い間、八女郡の中でも秘境に近い山奥に住んでいました。何しろ昭和二十年八月に生を受け、日本が敗戦を迎えた超苦しい時代で、今思っても貧しさは半端なものではありませんでした。小学校は我が家から二キロほど離れた所で、夏はゴムぞうり、冬は何とか靴を履いてはいるものの靴下などは無く、赤ぎれ
した指先は寒さで相当痛みもありました。暖房といえば火鉢くらいの物で、冬になると子供はみんな風邪をひき、青い鼻汁が行ったりきたり、ティッシュなどは勿論無かったので袖口はいつもピカピカ。それが それほど辛く感じられなかった事は、今思い返しても不思議なくらいです。
学校への道はずっと川沿いだったので、夏は暑くなれば素裸で泳ぎ、濡れた身体は太陽の熱で乾かし、喉が渇けば山から湧き出している清水に口をつけて飲み、いつもひもじい思いをしていたので食べられる様な木の実や草はいつでもどこでも何でも食べ、ほんとに超自然生活でした。そんな中、小学校一年の時の担任の先生は、結婚したばかりの若くて美しく とても優しい女の先生で皆大好き。二年生に上がる時 ほかの先生に変るという噂を聞き、クラス十七名の子供達が一致団結して学校へ直訴、そのせいか否か定かではないのですが二年生も担任して頂きました。
その大好きな先生がある晴れた うららかな春の日に、授業を急遽変更して「さあ 皆で外に出ましょう!」と一斉に花が咲く そう遠くない れんげ畑に連れて行ってくれたのです。
皆 夢中で花束や首飾りを作りプレゼントをし合ったり、先生に捧げたり、ほんとに楽しい時間を過ごしました。今思えば、先生は課外授業の先駆者だったのです。同窓会でもその話で
すぐもちきり。先生はれんげ畑から帰った後、校長先生から大変な大目玉をくらったとの事でしたが。 |
数年前の ある晴れた春の日に、先生ではないけれど私も何かにつき動かされた様に「今日は外に出かけたい」と思い、主人に頼んで「黒木の藤」を見に行くことになりました。ふと、黒木には先生も
そして幼い日の友も近くに住んでおられる事を思い出し、急遽カーナビで住所を調べ携帯で連絡を取ると幸いご在宅。突然の訪問で大変失礼ではありましたが、話はやはり
れんげ畑のことでお大いに盛り上がりました。又 ご自宅の前にはれんげ畑が! 幼い日の友人二人にも会え、れんげが藤をしのいだ一日でした。 |
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主人の定年退職後、趣味で野菜作りをしているのですが、この小学校の想い出があるからこそ自然大好き、田舎大好き、野菜作り大好きの人間になった様に思います。畑の片隅に数年前から
れんげ草を少し植えるようになり、昨年蒔いた種が大分芽が出てきました。
今年こそ、まあまあでも良いかられんげが咲いたら、先生とクラスの友を呼んで数十年前のあの時の様な楽しい時間が持てたらいいな・・・ と草取りに励んでいます。
大震災で被災された方々の事を思うと、故郷を大切にしなければ そしてどれ程の力を頂いたかと感謝せずにはいられません。
今年も又 もうすぐ れんげの季節です。 |
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咲かなかった時の為に
スケッチをしたれんげ草 |
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